― 2017年4月28日〜5月1日 鳴門渦潮・四国城廻り・四万十川編 ツーリングレポート  ―

鳴門渦潮・四国城廻り・四万十川編のルート


4月28日(金) 1日目6:00出発 (晴れ)走行距離数・・・650km
東名高速秦野中井PA→東名・伊勢湾道・東名阪・新名神→明石海峡大橋→鳴門北IC→【鳴門渦潮】 →高松道
【栗林公園】→高松「東急REIホテル」17:30(泊)


4月29日(土) 2日目8:30出発  (晴れ)走行距離数・・・350km
高松→【高松城】→高松道→【丸亀城】→高松・松山道→松山IC→【松山城】→松山道→宇和島北IC→【宇和島城】
R56・381・441→【四万十川/岩間沈下橋・高瀬沈下橋】→四万十・民宿「寿吉」18:15(泊)


4月30日(日) 3日目9:00出発  (晴れ)走行距離数・・・350km
民宿「寿吉」→R56→高知道・土佐IC →【桂浜】→高知 →【高知城】→R32→【かずら橋】→R32→【大歩危小歩危】
徳島道・鳴門大橋→神戸淡路鳴門道→北淡IC→「かんぽの宿淡路島」19:00(泊)


5月1日(月)4日目8:30出発  (晴れ曇り)走行距離数・・・560km
「かんぽの宿淡路島」→明石海峡大橋→新名神・東名阪・伊勢湾道・東名→自宅 65:00(帰宅)

総走行距離数・・・1,910km 平均燃費22.5km/l

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PA
東名高速中井PAを6時に出発し、伊勢湾道・東名阪・新名神を経て明石海峡大橋へ。途中のSAにて、渋滞もなく快適でした。

明石海峡大橋、全長3,911m。神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡に架けられた世界最長の吊り橋。

明石海峡大橋を渡り、淡路SA昼食を済ませ展望台にて、後方に明石海峡大橋。

14時、鳴門北ICに到着、【鳴門渦潮】観光船に乗船。

連休前の平日金曜日で、我々のグループのみの乗船で貸し切りでした。

今日の渦潮の最盛期は13:00との事でしたが、まだ充分に大きな渦潮が発生し見る事が出来ました。向こう側にも渦潮観光船、ちょっと小振りの船ですが、ガラス張りの船底で海底の様子が見られとの事。

鳴門海峡は、幅が約1.3km。瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5m、1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出し渦潮が発生、渦の直径は最大で30mに達するといわれています。 【栗林公園】紫雲山を借景として6つの池と13の築山を配した大名庭園。1625年頃に讃岐国国主生駒高俊によって南湖一帯が造営された。 生駒家が改易処分をうけ讃岐を去ると、同19年(1642年)高松藩主・12万石、水戸徳川家の松平頼重に引き継がれ、以後高松松平家が5代にわたり100年以上をかけ造営を行い、延享2年(1745年)第5代藩主松平頼恭の時代に完成。
「栗林」と付くものの、完成当初から園内の樹木はマツを主要としている。名の由来となったクリの林は、最初は北門付近に存在していたが、程なく伐採されたそうです。 国の特別名勝に指定されている。2009年3月16日発売の『ミシュラン観光ガイド』に「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価3つ星に選定されています。公園の直ぐ脇に駐車場完備 高松市、香川県の県庁所在地人口48万人。香川県の人口100万人の過半数に達する四国最大の都市圏。中心街には一流ブランド店がビッシリ。
高松市の中心街に位置する「東急REIホテル」、昨日に引き続き快晴のツーリング日和です。 【高松城】、別名「玉藻城」は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。天守は老朽化により1884年(明治17年)に解体され。天守閣は無く、写真は「北の丸月見櫓」 【丸亀城】別名、亀山城。生駒親正・一正が、慶長2年(1597年)亀山に築城。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になる。その後山崎家治が再建に取りかかり、京極氏が完成させた。石垣が美しい石垣の名城、三の丸北側の石垣。
城郭構造は渦郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。天守は独立式層塔型三重三階。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。 大手一の門。城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。天守のほかに大手一の門・大手二の門・御殿表門・番所・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財に指定されている。 松山市へ。愛媛県のの県庁所在地、約51万5千人の人口を有する四国最大の都市。松山城・道後温泉で有名。伊予鉄道の市内路面電車が・・・!!
【松山城】ロープウェイかリフトを使って登る。関ヶ原の戦いの功績により伊予を与えられた加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城したが加藤氏の時代には完成しなかった。その後、蒲生氏を経て松平の時代に完成した。 。 松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える平山城である。日本三大平山城にも数えられる。 城郭構造は連郭式平山城、城跡は国の史跡に指定されている。天守は連立式層塔型三重三階地下一階。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。
【宇和島城】上り立ち門の前で。藤堂高虎が、天慶6年(1601年)中世城郭板島丸串城の地にの築城。その後、富田氏を経て伊達正宗の庶長子秀宗が入り明治まで続いた。城郭構造は梯郭式平山城。反対側に駐車場があり、天守まで徒歩20分。 城跡は国の史跡に指定、縄張りは五角形、一辺が空角になる「空角の終始(あきかくのなわ)」で、四角形と錯覚させる縄張りになっている。東側の堀は海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。天守は独立式層塔型三重三階。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。 宇和島を後に、国道381・441号を走って四万十川へ。
【四万十川】には本流・支流を含め、47本の沈下橋があるそうで、沈下橋とは増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。現在も地域の生活道路の橋として使用されています。邪魔にならないようにご注意!!。 ここはそのうち有名な【岩間沈下橋】、全長:120.0m  幅員:3.5m、よくポスターやテレビに登場するのが、この沈下橋です。 こちらは【高瀬沈下橋】、全長:232.3m  幅員:3.4m、走り出しや停まる時には緊張します。
宿泊は、中村市にある民宿「寿吉」、ふるさと酒場「寿吉」としても開業していて、新鮮な魚貝類と、ビールジョッキ片手に一緒に飲んでくれた気さくな女将さんが印象的でした。 高知【桂浜】へ、坂本龍馬の銅像前で。坂本龍馬、薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えるなど、重要な働きをし大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。そんな大物のの前で・・・!! 「桂浜」は、月見の名所としても知られ、毎年中秋の名月の夜になると「名月酒供養」が開催されるそうです。
高知市、高知県の県庁所在地、人口約33万人。高知で電車といえば路面電車のこと。 日本最古の路面電車は,南国市後免(ごめん)町駅からいの町伊野駅まで東西22.1k。日本最長は高知駅前から桟橋通五丁目までの南北3.2kmの総延長25.3km。高知市民の通勤,通学の足として利用されています。外国の街を実際に走っていた電車も市内を走っています。 【高知城】関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)、山内一豊が南北朝時代の大高坂松王丸の居城があった大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築いた。城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。追手門越しに天守閣。
階段を登ること約10分、どこの城も敵が簡単に攻め入られない様天守までは一苦労です。 天守は独立式望楼型四重六階。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。本丸の建物が完全に残る唯一の城でもある。 火災や震災,明治維新による全国的な廃城,太平洋戦争など幾度となく襲ってきた危機を乗り越え,現在でもその姿を残しています。公園内には,内助の功で有名な一豊の妻,千代の像や板垣退助像などもあります。
高知城を後に、高知道から国道32号。 【祖谷のかずら橋】平家の落人が追っ手の進入を防ぐためにシラクチカズラで編んだといわれる吊り橋。安全のためワイヤーが使われており、かずらはワイヤーを包み込んでいます。 【大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)】は、2億年の時を経て四国山地を横切る吉野川の激流によって創られた約8kmにわたる溪谷に沿って快走。
今回のツーリングは、江戸時代より現存する天守の城廻り・四万十川沈下橋・鳴門渦潮。帰り途中に現存する12天守の一つ犬山城を廻り12城制覇の予定でしたが、午後から雷雨の予想だったので早々に退散し濡れる事なく17:00には自宅に帰れました。
【大歩危小歩危】の途中、道の駅、時間も遅くなり気温が下がって来てこれから高速も。今日の宿の淡路島へ到着は19:00でした。 宿泊先のかんぽの宿「淡路」、出発前の揃い踏み?
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